白野週報

Molière a du génie et Christian était beau.

ひどく寂しかった

 先月、アントニオ猪木が亡くなった。享年78歳。数年前から大病を患っているという話は聞いていたし、公の場に見せる姿はひどくやせ衰えていて、その最期がそう遠くないことは誰しもが分かりきっていた。78という年齢も、近年の平均寿命と照らせばやや早かったとは言えるが、早すぎると嘆くにはあたらないだろう*1。それにもかかわらず、アントニオ猪木が死んだという事実にはひどく寂しい気持ちにさせられた。

 私は90年代半ばの生まれなの((板垣啓介『バキ外伝』冒頭に登場する、斗羽猪狩≒馬場猪木直撃世代でない若者の、さらに一回り程度下の世代といえば分かりやすいだろうか?)))物心ついたころにはすでにアントニオ猪木はプロレスの第一線から退いていた。正直に言えば、私のよく知るアントニオ猪木はプロレス界のカリスマといった崇敬の対象ではなく、異様に元気のいいよく分からないおじさんだった。闘魂注入と称する強烈な張り手、政界進出と政治のスタンダードとはかけ離れた振る舞い、物真似やパロディによる強烈な揶揄。私はそういうものを通じてアントニオ猪木を知っていった世代であるに過ぎないのだ。そうでなくとも、我々はアントニオ猪木が「いい人」ではないことを知っているはずだ。黒いウワサの数々を今ここで列挙することはしないが、アントニオ猪木を巡る悪い評判というのは、格闘技に少しでも関心があれば嫌でも耳にするのではないだろうか。

 それにも拘わらず「猪木が死んだ」と思うと涙が止まらなかった。これまでも敬愛する著名人の訃報は何度となく耳にしてきた。面識もない著名人の訃報に涙したのは、記憶している限りでは、アントニオ猪木が唯一だった。

 アントニオ猪木には「元気があればなんでもできる」「迷わず行けよ行けばわかるさ」という有名な決め台詞がある。ありきたりな話だがこの決め台詞を最期まで体現してくれたことが、なによりも重要なのだ。Youtubeチャンネルで病身の己を曝け出し、弱音さえショーアップして言いたいことを最期まで発信し続けた姿によって、アントニオ猪木の描いた道は完成したというのは若輩者の考えすぎかもしれない。考えすぎかもしれないが、最後まで自身の生き方を発信し続けたことはこれ以上ない美徳ではないか。

 「迷わず行けよ行けばわかるさ」と力強く励ましてくれた偉大な巨人はもうこの世にいない。そう思うからこそ、私はひどく寂しいのだった。ある人が「俺たちが忘れない限り彼(アントニオ猪木)は死なない」と書いていて、実にいい考え方だと思った。アントニオ猪木の生涯には光だけでなく深い暗黒も同時に横たわっている。しかし、その生涯を貫く力強い未来志向はいつまでも我々の頭上で燦然と輝き続けるものと信じたい。

*1:比べてもまったく意味のない話だが、私の祖父母はいずれももっと若くして亡くなっている。