白野週報

Molière a du génie et Christian était beau.

鶴見俊輔の『思い出袋』

 先週の水曜日に体調を崩してお盆期間をほとんど寝て過ごした。金の卵の集団就職世代から数えて三代目にあたる私には帰るべき実家というものがないのでだれが困ったということはない。墓参りに行かなかったことは不義理であると感じる。

 体調を崩す直前に鶴見俊輔の『思い出袋』を読み終えた。何年か前に買ったきり読んでいなかった本の一冊で、手を着けなかった理由は自分でもよくわからない。鶴見は1922年(大正11年)生まれで2015年(平成27年)に93歳で没している。『思い出袋』は雑誌『図書』に連載した短編コラム「一月一話」(2003年1月~2009年12月)を収録したもので、「書ききれなかったこと」と題する短文とあとがきが書き下ろしになっている。あとがきを書き終えた時点で鶴見翁満87歳。最晩年の仕事と言っていいだろう。

 数年にわたる連載の集成という性格のためか、何度となく同じ逸話が繰り返し語られる。曰く「自分は対米開戦を確信していたが親しくしていたアメリカ人は日本の政治指導者を高く買っていて開戦には至らないだろうと主張した」と。また、ニューディール政策の影響下にあった「国家資本主義」的なアメリカで青春時代を過ごした鶴見がその後のアメリカの趨勢を苦々しく見詰めていたことも繰り返し語られる。老人の脳裏に深く刻み込まれた印象。それが何度となく立ち現れてくることを耄碌と笑うことはたやすい。

 『思い出袋』で印象深かったのが、そうした戦争へ向かう国家権力のエネルギーを侮蔑的に眺めている一方で戦争当事者に対する言及はどこか歯切れが悪いことだった。政治家だった父を指してはっきりとその能力に疑問を呈す発言を残している。それに対して、おそらくあまりいい印象を抱いていなかっただろうと筆致から想像できる軍人たちに対してはっきりとした批難が現れてくることは少ない。この歯切れの悪さの中に、鶴見の如何ともしがたい心情を感じ取ったような気がした。それは鶴見の甘さや弱さの表れだったのかもしれない。しかし私は、反戦、平和護持を訴えながらも半世紀以上昔の「同僚」たちを指弾し切れないところに生身の人間の体温を感じるのだ。