白野週報

Molière a du génie et Christian était beau.

下品な思い出話

 19世紀パリの風俗について調べていると「パリの高級娼館”クリスタルパレス“には壁から天井から一面鏡張りの一室があり、ひと頃の日本人観光客は欠かさずここを訪れていた」という記述が目に留まった。私が調べていたのは柳田邦男や今和次郎折口信夫などが関心を持っていた方の風俗、風俗喜劇などの風俗であって断じて「そういうことをするお店」の方ではない。もっとも日本においても、今日ではほとんど忘れられているが花柳界の文化に及ぼす影響というのは実に強力だった。そうである以上清教徒のように健全な世界ばかり追い求めても仕方がないことは間違いない。ただ私はいたって真面目にパリの文化、風習、風俗について調べていたということだけは強調しておきたい。

 それにしても、風俗が「そういうことをするお店」の意味としてのみ使われるようになったのはいつの事であろうか。試しに新しいタブで「風俗」と検索したところ検索結果は一面「そういうことをするお店」であった。これでは私がいやらしい人間みたいではないか。しかし仮にいやらしい人間だったとしてそれの何がいけないのだろうか?

 話がずれてしまったが、この「一面鏡張りの娼館」という文字列が目に留まったときに私は不意に何年も前の出来事を思い出した。いささか下品であるし、ヤマもオチも意味もないつまらない話なのでインターネットには書きたくないのだが思い出相手に消化不良を起こしそうなので少しばかり書いておく。

 その昔お付き合いをしていた女性にある時「昔行きがかりに泊まったホテルが天井も壁もガラス張りで困ってしまった」という思い出話をされた。泊ったというのは無論、昔の恋人とという意味である。私はただ「そんなことを話されても困る」とだけ思った。あの時私はなにを期待されていたのだろうか。嫉妬に狂って燃え上って見せればよかったのだろうか。それとも自分はそんなことに動じるような小さな男ではないと見せつければよかったのだろうか。今となってはもう答えを知る術はない。まさか今さら電話をかけて「もしもし、久しぶりだね、ありゃいったいどういう意味だい?」などと聞くわけにはいかないだろう。いったい私はどうすればよかったのだろうか。それとも、単にそういう話題が人一倍好きな人だったのだろうか。思えば昔の恋人との思い出話をよくする人だった。思い出話とは無論「そういう思い出話」である。その時も私はただ反応に困って「はあ、そうだったんですか」と返すばかりだった。正解はいったいなんだったのか、あの時私はなにを求められていたのか。そう考えていると不意に本棚のドゥルーズ入門に「答えのない世界を生きる」とキャッチフレーズがついていたことまで思い出されてくる。ただドゥルーズの「答えのない世界」というのはそういう話ではないだろうし「そうだったんですか」というのも期待されていた態度ではなかったのだろうという気がしている。