白野週報

Molière a du génie et Christian était beau.

書くのをやめたことなど

 神経がささくれ立っているためか、「学者の中には戦前と戦後で180度違うことを平気で言っている人もいた」という喧嘩腰の記事を書こうと企図して途中でやめてしまった。むやみなことは言うべきでないし、批判的な内容が含まれるのであれば「むやみなこと」で済まさずきちんとデータをそろえてやるべきだ。もっとも、冷静さを取り戻したから途中で取りやめたというよりは、単に仕事用のPCにwindows11をインストールする作業があまり上手くいっていなくてブレーキがかかったというだけの話に過ぎない。

 こういうときはなにをやってもうまくいかないもので、「明るい気持ちを否定してまで自分自身の不愉快な気持ちに寄り添うのはよそう」という話も途中まで書いて消した。なにか他人に自分の思想を押し付けているような気がしてならなかったからだ。自戒の言葉というのは容易に他人に対する暴言になる。他人をどうこうしようという意思が一切なくてもだ。

 書いていないことと言えば「ナンパイ(漫画のキャラクター)の機能を検討しましょう」と書いて三か月以上ほったらかしになっている。これは遊びの一環として文章を書く時間をまとめて確保できていないというのももちろんあるのだが、単純に自分の「解釈」を開陳することに躊躇いがあるというのもあるのだろうと思う。S.ソンタグが『反解釈』で言語による読解によって失われる官能性に言及していたことに感銘を受けたというのももちろんあるのだが、単に下手の横好きで珍説を打って恥を掻きたくないというのもある。誰も読みはしないのだからなにを書いたっていいだろうという話ではあるのだが、こういう時に自分の気位がむやみやたらに高いということを思い知らされるのである。こちらについては書いたところで誰かが傷つくようなものでは(多分)ないのできちんと書いておこうとは思う。いつになるかは分からないが。