白野週報

Molière a du génie et Christian était beau.

誤字と入力ソフト

 この二週間は体調を崩し、グダグダと過ごしていた。体調が悪い旨を書くのも面白くないし、だからといって何か習作めいたものを書こうにも題材が思いつかない。正確にはひとつふたつ考えて居ることはあるのだけれど、病み上がりなのでエネルギーを消費するような余暇の過ごし方をするのがなかなか難しい。なにかをする動機を探すことは難しいが、やらない動機を探すのはとても簡単なことなのだろう。

 最近「品性下劣」を「品性愚劣」と覚え違えていることに気付いた。「品性下劣」はかなり強い非難であるので、それを間違えて使うというのは大変恥ずかしい。使わないから間違えるのだという言い訳は成り立つが、そんなことはどうでもいい。興味深いことに「品性愚劣」という間違った言葉は「品性」「愚劣」と二種の二字熟語と入力ソフトが判断するからなのか、間違った言葉でありながら一発で変換することができる(PC、スマホどちらも)。私が好んでやたらと使う膾炙という言葉はスマホでは変換できない。ややマイナーだが正しい熟語は変換出来て、間違った熟語は変換できる。そのことを責めた立てなにかを言いたいというわけではない。ボキャブラリーの変遷を考える時に、日本語入力ソフトのボキャブラリー(あるいは用字制限か?)というのは案外重要であるように思われる。わざわざなますあぶると書いて「人口に膾炙している」と入力するよりは「広く知られている」と書く方が早い*1。よほど「膾炙」と言いたいのでない限り。言語学の方ではとっくに言われていることかもしれないが、言語学に疎いので調べ方が思いつかない。いずれにせよ「国語力が劣化している」という当今の話題については、なるべく視野を広く持って考えた方がよいのではないだろうか。

*1:ただし辞書を見る限り「膾炙」には単に知られるよりはやや好意的なニュアンスを含んでいるので厳密に同一ではない。確かに「悪評をもって人口に膾炙した」というような言い方は見た記憶がない。