白野週報

Molière a du génie et Christian était beau.

この三年間

 最近、いやに時間の流れが速く印象が薄いことに気付く。曜日の感覚も希薄になってきた。そろそろ四年目、五年目への突入も現実味を帯びてきた「ニューノーマル」は着実に私の感性をむしばんでいる。だからニューノーマルを止めようと言いたいのではない。感性が多少摩耗しようと私はまだ耐えられる。しかし、行動制限開始直後に云われたような「コロナ以後の生活の方がイキイキと暮らせる」という人たちばかりでないことはここに書き留めておきたい。価値観、生活を「アップデート」できる人ばかりではない。なにかがガラリと変わるときには、必ずそこから零れ落ちる人間というのは一定数出てくる。その零れ落ちていく人間のメンタリティーをどう掬い取ればいいのかについては、私には分からない。「アップデート」によって救われる人がいる以上、そんなもの止めちまえと頭ごなしに否定することもできないのである。

 答えの出ないもののことを考えるのは苦しい。私は時々「死ぬまでマスクをしろ、死ぬまで会食をするな、死ぬまで都道府県を越える移動をするな」と宣言してもらった方が楽なのにと思う。そうすれば「いつになったら元の暮らしが」などと帰ってこないもののことを考えずに済むのだから。しかしそれはあまりにも無責任だ。近年は責任論がそろそろ一般向け書籍に降りてくるのではないかと思われるぐらい流行っているが、一応いまの社会は責任というものが絶えず自己に降りかかることになっているのだから責任をどのように持つかということを考えないわけにもいかないだろう。考えないわけにはいかないのだが、この三年間で私はひどくすり減ってしまった。あまりに後ろ向きになってきたのでこのあたりでやめておく。