白野週報

Molière a du génie et Christian était beau.

最近の疑問

  「リアル」という形容詞に対して肯定的なニュアンスが付与されるのはいつ頃から始まる傾向なのだろうか。「この作品はリアルだ」「このプラモデルはリアルな造形をしている」「リアリティを感じる」という表現から、負のイメージを読み取ることは難しい。逆に「リアルでない」「リアリティに欠く」という表現を肯定的に使うことはあるのだろうか。少なくとも私はそういった例を寡聞にして知らない。考えてみれば「リアルな物語」というのはやや形容矛盾的な表現である。もちろんそれが「より迫真性を備えている」ということを指し示していることぐらい私にも理解できる。しかし「リアルであるからよい」という感性の源泉はどこにあるのだろうか。

 「リアルなガンプラ」というのも奇妙な存在だ。「本物のガンダム」とはなんだろう。それはアニメの中に描かれた絵こそが本物ではなかったか。しかし我々は「アニメの世界では省略されているであろう各種機構」を造形した、アニメの中のガンダムとはかけ離れたガンダムのプラモデルに対して「リアルだ」と感じている。この「リアル」の中身を説明することは可能であろう。もっとも簡単に、図式的に説明するならそれは現実に見聞きする実在の兵器との関係に基づいて生み出される想像力の産物だ。しかしそれでは「そういう表現が使われているとリアリティを感じるし、それは良いものである」と感じることそのものについての説明にはならない。

 ギリシャ悲劇においては、後代の作家になるにつれ題材がギリシャ神話の世界を離れより人間の内面を描くよう進化していくということが図式的に言われえている。神話の世界よりも人間の世界の方がよりリアルであるというのはわかる。想像力の産物に対して現実に行われている生活は現実(リアル)そのものだ。しかし神話を描くよりも人間を描く方がより進歩的であるというのはどういうわけなのだろうか。

 自明と思われることを説明するのは案外難しい。