『明治事物起源事典』(湯本豪一、柏書房、1996年11月)によれば日本においてスポーツとしての競馬*1が初めて催されたのは文久年間(1861~1863)である。文久何年と明確にされていないのは、少なくとも1996年時点では正確な年月日を明かした資料が未発見であったということだろう。十六年後の現在もう少し詳しいことが分かっているかもしれないが、今日はそこまでは調べていない。場所は横浜根岸村*2の一角で、催したのは横浜居留地に住む外国人たちであった。その後日本人の手によってはじめて競馬が行われたのは明治3年(1870)9月のことで、場所は九段招魂社(いまの靖国神社)。兵部省*3が主催者であった。招魂社という場所の選択は、近世以前に馬を用いる催しが祭式的な要素を強く持っていた*4ことの名残であろうか。ちなみに日本人による馬券の販売は明治39年に始まるとあるから、それまでは純粋に馬の走るところを鑑賞する催しだったということになる。少なくとも、建前の上では。
兵部省主催ということからもわかる通り、日本の競馬は軍馬の生産と密接に関係している*5。かつてアングロアラブという種が生産され、今日では見る影もなく衰退しているのはこのあたりの事情が大きい。なお湯本は「庶民の娯楽として根付いている競馬も、日本で始められた当初は上流階級の娯楽だった。」*6と書いている。近年一口馬主制度による庶民(といっても遊びに使う金はそれなり以上に持っているであろう人達)の馬主参入が進んでいるが、馬主業については今でも上流階級の娯楽であると見てよろしかろう。
現代の欧米でどうなのかは私は知らないが、西洋においても競馬は元来上流階級の娯楽であった。ジョセフィン・ベーカー主演の映画Princesse Tam Tam(1935)には、ベーカー演じる黒人ダンサーがアッパークラスの白人に見いだされ社交界デビューするというシークエンスがある。その中に競馬を観戦する場面があり、そこに映される観客はみな「紳士淑女」といった装いの人たちであった。最近もエリザベス女王所有のサラブレッドのことがニュースになっていた。女王陛下は熱心な競馬愛好家であるらしいので、今でも上流階級のたしなみという側面が生き残っていること自体は間違いないのだろう。