白野週報

Molière a du génie et Christian était beau.

今月観た芝居

 今月は歌舞伎座の切符が取れず、新劇も小劇場も見なかったので新橋演舞場の「藤山寛美三十三回忌追善喜劇公演」しか観に行かなかった。コロナウィルス第七波到来であちこちの公演が中止になっているので、今月はもうこれ一本になるだろう。映画『GのレコンギスタⅣ』を観に行きたいが、この様子では映画館も行けるかわからない。Ⅲと『閃光のハサウェイ』はちょうど第何波だったかもうよく思い出せないが、それに重なって観にいかなかった。私は富野由悠季崇拝なので残念に思う。

 話を芝居に戻す。演目は『愛の設計図』と『大阪ぎらい物語』に、幕間に藤山寛美生前のドキュメンタリー映像(おそらくテレビか何かで使ったものの抜粋)が入る。『愛の設計図』は時代設定は大阪万博直前で建設会社が舞台。大学を卒業したての若手一級建築士を親方がいびり倒す場面から始まるが、当然この親方は深い愛情のためにあえて一級建築士の青年をいびっている。しかし、大学進学率が五割を超す時代に大学に入った私などにはその動機が得心できなかった。つまり親方は、一本立ちすれば雲の上の人となる青年にあえて現場の苦労を早回しに、濃縮して経験させることで偉くなってからも現場のことを忘れぬ設計士になってほしいということなのだが、これは大学進学率が一割前後の時代でないとなかなか想像しづらい。無論今でも国立大学を出て一級建築士資格を取得しているとあればエリートであることには間違いない。ただ「一人前になった暁にはもはや雲の上の人」というほどの特権性は今の大卒は持ちえないのではないか。なので私にはどうにも、単なる若手いびりに見えてならなかった。これは脚本の弱みというよりも、時代によるものが大きかろう。演者は曾我廼家八十吉が絶品。

 『大阪ぎらい物語』は藤山直美の得意演目。林与一が力はあるが了見の狭いイヤな叔父の役で出演。「客演」と書こうとして気が付いたが、今回は松竹新喜劇公演の名義ではなくあくまで「追善喜劇公演」なので客演でなく出演と書くのがあっているのだろうか。イヤな役だがゆったりとして不思議な潤いがある。じつはプライベートタイムであろう姿の林与一を目撃した事があるのだが、オフにも拘らず迫力があった。こういうのを「オーラ」というのだろう。西川忠志の努力しているなりに親世代の無理解を前にちょっと擦り切れてしまった兄貴もよかった。

 終演後のあいさつで藤山直美が、父寛美と新派の縁を滔々と語っているのが実によかった。新派は松竹側から今年度公演を打たないことを宣告されており、いよいよ命脈尽きつつある。新派への恩義と愛着をいま挨拶という形で藤山直美が語ったことは、美談として記憶されるべきである。