白野週報

Molière a du génie et Christian était beau.

「エターナる」という動詞

 「師が走る」と書いて師走と読む十二月であるが、特に何の師でもない私も仕事が煮詰まり東奔西走の日々を送っている。毎週土曜日には一本ブログを書くということになっているこの白野週報も二週続けて休んでしまった。誰も読んでいないのだからいいだろうという話ではない。週一回きまったことをするという些細な習慣すら守れない自分が嫌になるのだ。とはいえ、では今から就寝までになにか意味のあることが書けるかと言えば、その答えは否である。あれだけ書く書くと虚空に向かって宣言していた記事もちっとも進んでいない。こういうのを、創作では「エターナる」という俗語で揶揄するようだが、このままではエターナってしまうこと請け合いである。それはあまりにも空しい。

 こういう時に自分はダメな奴だと殻に引きこもることはあまり意味がない。客観的に見てもたぶん私は本当にダメなのであろうが、それはそれとして、重要なのはなにがダメなのかであろう。私の場合は、時間の作り方が下手であるからいつまでたっても記事が書けないというのがダメなポイントだろうと思う。情けないことだが、仕事をしているときも時間の使い方はかなり下手なので、それが関係しているのだろう。もっとも「どこがダメなのか」を洗い出すという某社式の思考法(名前がついていたはずだが忘れた)は安直な自己批判に帰結しがちだという話も聞いたことがあるので、建設的に扱うのは難しいのであろうが。

 話が後ろ向きな方向へと逸れてしまったがあと少しでささやかながら休暇が待っている。年齢を重ねるにつれて年越しというのがだんだん嫌いになってきたが休暇は大好きだ。来週いっぱいはまだ忙しいのであるが、ゴール乃至休憩地点が見えていると思えばいくらかは耐えられるというものである。