白野週報

Molière a du génie et Christian était beau.

テキストサイトの思い出

 白野週報を始めて一月が経過した。「大仰な筆名を名乗り」「大層な題目を掲げ」「実際には大したことは書かない」というのはもともとそういうつもりで始めたのであまり問題ではない。ただ、それでもなにか一つぐらいは見どころのある記事を書かないことには自尊心が満たされないが、自己満足でなにかを綴るにしてもそれ相応の準備を行わなければ結局は自尊心は満たされない。これでもし、変わらぬ日常を過ごすことができたならば劇場で見た芝居、映画の感想の一つでも書きたいところだが、このご時世には劇場に通うことも難しい。通うこと自体はできるのだが、劇場通いを披瀝して面白くない目にあう可能性だって十分に考えられる。無論、考えすぎであろうとは思うのであるが。そこで試みに突然赤字の倍角を使用してみるというかつてテキストサイトの常とう手段を真似してみたりもするが、テキストサイトにはテキストサイトで研鑽された文体があるのであって、私が突然表面をなぞってみたところで白けていくばかりである。

 テキストサイトの流行については私は詳細に調べたことはないが、体感では私の一回り上の世代のパソコン通の間で広まった趣味であるように感じられる。私がパソコンに触れるようになった2008年頃はすでにブログに主導権を譲っていたような記憶があるがあまり詳しいことは覚えていない。高校の授業で「ホームページをプログラミングする」という課題が出た記憶があるが、初歩の初歩でもかなり労力が必要だった。無論、多くの趣味と同様に慣れていてば苦でなくできるになるのだろう。ただ、ブログのようにあらかじめお膳立ての上でただテキストを打ち込めばそれがインターネット上に放流されるというのとは敷居の高さがまるで異なる。テキストサイトというのは案外、余力を必要とする趣味なのだ。

 この後の段落に趣味と余力の話をつらつらと続けたが、言いたいことがまとまらず散漫になったのでここで筆をおく。