白野週報

Molière a du génie et Christian était beau.

国立劇場閉場と初代、一世という表記

 先日、国立劇場が閉場した。建物の老朽化が主な理由だというが、新劇場建築の見通しが不明瞭なので劇通からはかなり否定的な意見が出ている。日本劇場が無くなり、帝国劇場、歌舞伎座新橋演舞場が雑居ビルの一角と化した今日、この国立劇場の閉館を以て自立した建造物としての劇場は東京から姿を消すことになる。

 国立劇場は皇居の目の前に位置しているので、複合ビルになるにせよ新国立劇場よろしき背の高いビルにはならないだろうとは思う。しかし、ビルの一角を劇場とするという様式を採るのは避けられないのではないかと思う。そもそも、国立劇場はどの公演を観に行っても大抵は当日券で一番安い三階席の切符が買えるぐらい、入りの悪い劇場だった。東銀座の歌舞伎座と違って周りに遊興の場がほとんどないことも無縁ではないように思う。国立劇場に行くと、いつも食事の用意に困らされた(食堂が完備されているが、学生が気軽に入れる価格ではないし、そのことを引きずって長じてからも一度も入らなかった)。

 今回閉場し取り壊される(のであろう)国立劇場のことを「初代国立劇場」と呼んでいるが、上の世代の人たちはこの呼称を嫌がっているようだった。確かに、建築物を代数で数えているのを見た覚えはない。歌舞伎座などは第一期、第二期、第三期と数えている。ただし車については初代スカイラインだの、三代目フェアレディだのという呼び方が一般的だったような覚えもある。最近、車の話はほとんどしないので忘れてしまったが。

 服部幸雄はかつて自著(『歌舞伎ことば帖』だったと思う。)で歌舞伎役者を初世、二世、三世…と表記するのは嫌だとぼやいていた。そういう感覚というのは、世代が下ってしまうと実感は湧かない。私などは「服部先生が嫌だとおっしゃるなら」という権威主義的な発想で、「六世菊五郎」のような言い方は避けているが、具体的な根拠があってのことではない。それにしても、服部幸雄はなぜわざわざそのような苦言を呈したのだろうか。氏が編纂に携わった『新版歌舞伎事典』(平凡社)の歌舞伎役者の項目は代数を○世と表記している。これが嫌だったのだろうか。