先日見物した芝居の幕開き、若手俳優の出の台詞があまりにも棒読みなのに驚いた。若手の研究公演というのは得てしてどこかしら不味いところはあり、そういうものも承知で見るべきものと心得ているので大根であることは別に構わない*1。ただ、御曹司として大切にされているのだからもう少し気の入ったところを見せてもらわなければ困るとは思う。
大詰めに差し掛かったあたりで件の御曹司何某君、徐々にエンジンが掛かってきたのか終幕に向かえば向かうほど大車輪の熱演ぶり。幕開きの大根振りはどこへ行ってしまったのかという力の入ったセリフ回しを聞かせてくれる。芝居のはじめとおわりでそんなにやる気の量が乱高下するのでは困ると苦笑いして不図、幕開きも別に気が入っていなかったわけではないのだろうということに思い至る。
幕開きと大詰めで何が違うかといえば、ふつうは劇中における状況の切迫具合が違っている。序幕からいきなり危機的状況の只中に放り込まれるということもあるにはあるが、徐々に劇的緊張が高まっていき終盤の方にクライマックスが設定されているというほうが一般的であろう。大詰めの何某君、義理と人情の板挟みに呻き、悶え、大絶叫の熱演を見せるところで急によくなったあたり、絶叫芸を見せて「熱演」しないとうまく芝居にならないということではないだろうか。
私は大学時代、熱心なつかこうへい崇拝だったので青筋立てて腹筋が引きちぎれんばかりに力を込めて台詞をがなり立てる演技はかなり好んでいた。ただ、つかこうへいの舞台にしてもがなり立てるばかりでなく、静かに、寂しく見せる部分とのコントラストというものはあるのであって、叫んでいないと演技にならないというのでは困る*2。何某君は力いっぱいになるところは宜しかったが、そうでない、何気ない口ぶりや手つきでその人を見せるというところに欠けていたと言わざるを得ない。
御曹司何某君はまだ売り出したばかり、未来ある俳優なので今後の展望に期待したい。幹部俳優にも叫ぶばかりの俳優というのはいる。何某君がそのような俳優にならぬことを願うばかりである。