白野週報

Molière a du génie et Christian était beau.

福岡行

 先週は九州に出張していたのでブログで遊ぶ暇がなかった。今週も、出張で受けたダメージを回復し切れなかったのであまり書くことがない。自分の失敗を許せない性格というのは損なものだ。許せないことでなにか進歩があるならいつまでも許さずにいればよいが、許す許さないとミスの取り返しには、大して相関がないというのがこの年まで生きてきた結論だ。

 

 福岡はすでにクリスマス・イルミネーションがあちこちで始まっていた。

 都内ではまだここまで飾りこまれていないように思うので、九州のクリスマス入は少し早いのかもしれない。

 帰り際に余暇がすこしだけあったので、等身大のνガンダム立像を見に行った。

 ちょうど稼働イベントがある時間だったようで、目を光らせながら腕を上下しているのを見た。富野由悠季は1stガンダムの立像を見て「ガンダムは優しかったんだ」と発話したというが、このνガンダムを見ると富野監督の言わんとしていることも分かるような気がする。

暑さ寒さも彼岸までとはいうけれど

 11月にしては異様に暑い。去年は10月頃に蚊を見なくなったように思うが今年はウヨウヨと飛んでいる。その分、夏にはさほど見なかった。あまりにも暑すぎて蚊が耐えられなかったというのは本当だろうか。それなら熱帯で蚊に由来する伝染病が猛威を奮っているというのはおかしい気もする。しかし、気候というのは単に暑い寒いの問題ではないのであるから、なにか事情はあるのかもしれない。

 昼間は暑くて夜は寒いので上着を持ち歩く必要があるが、スーツはともかく普段着はちょうどよいものがなくて困る。これぐらいの陽気に着る服は意外と取り回しが悪いので、最小限しか持っていない。おかげでいつも同じような服を着ている。漫画のキャラクターでもあるまいに。

 

国立劇場閉場と初代、一世という表記

 先日、国立劇場が閉場した。建物の老朽化が主な理由だというが、新劇場建築の見通しが不明瞭なので劇通からはかなり否定的な意見が出ている。日本劇場が無くなり、帝国劇場、歌舞伎座新橋演舞場が雑居ビルの一角と化した今日、この国立劇場の閉館を以て自立した建造物としての劇場は東京から姿を消すことになる。

 国立劇場は皇居の目の前に位置しているので、複合ビルになるにせよ新国立劇場よろしき背の高いビルにはならないだろうとは思う。しかし、ビルの一角を劇場とするという様式を採るのは避けられないのではないかと思う。そもそも、国立劇場はどの公演を観に行っても大抵は当日券で一番安い三階席の切符が買えるぐらい、入りの悪い劇場だった。東銀座の歌舞伎座と違って周りに遊興の場がほとんどないことも無縁ではないように思う。国立劇場に行くと、いつも食事の用意に困らされた(食堂が完備されているが、学生が気軽に入れる価格ではないし、そのことを引きずって長じてからも一度も入らなかった)。

 今回閉場し取り壊される(のであろう)国立劇場のことを「初代国立劇場」と呼んでいるが、上の世代の人たちはこの呼称を嫌がっているようだった。確かに、建築物を代数で数えているのを見た覚えはない。歌舞伎座などは第一期、第二期、第三期と数えている。ただし車については初代スカイラインだの、三代目フェアレディだのという呼び方が一般的だったような覚えもある。最近、車の話はほとんどしないので忘れてしまったが。

 服部幸雄はかつて自著(『歌舞伎ことば帖』だったと思う。)で歌舞伎役者を初世、二世、三世…と表記するのは嫌だとぼやいていた。そういう感覚というのは、世代が下ってしまうと実感は湧かない。私などは「服部先生が嫌だとおっしゃるなら」という権威主義的な発想で、「六世菊五郎」のような言い方は避けているが、具体的な根拠があってのことではない。それにしても、服部幸雄はなぜわざわざそのような苦言を呈したのだろうか。氏が編纂に携わった『新版歌舞伎事典』(平凡社)の歌舞伎役者の項目は代数を○世と表記している。これが嫌だったのだろうか。

気づけば二週間

 忙しいのと具合が悪いのとが合わさって気付けば二週間もブログをサボっていた。今も頭が重たく、ネタも浮かんでこない。いっそこのままサボり続けて辞めたっていいのだが、それはそれで寂しい。

 忙しなく働いてみても体力がつくということはないらしく、最近、以前は重たく感じなかったものに重みを感じたり、長時間プレゼンテーションをすると息が上がって苦しくなったり、あまりいいことはない。

 あんまり暗い話ばかりしても仕方ないので、これぐらい書いて「サボらなかったぞ」と自分自身に言い聞かせるぐらいで今日はやめておく。

 この一週間あまりにも忙しかった、というより、最近はずっとコンスタントに忙しいので話のネタがなにも思いつかない。しかし毎週書くことがない書くことがないと言いながら書くだけかいいるのだから無理してでもなにかしら書くのがいいのだと思う。

 忙しいといえば、何年か前に流行った映画のクライマックス、疲弊しきった主人公が昔の恋人に「パズドラぐらいしかできない」という意味のことを漏らすシーンがあったらしい。私は当該映画を見ていないのであまり良し悪しを言うべきではないのだが、この「パズドラぐらいしか出来ない」というのは主人公がある種の娯楽を見下していることが透けて見える実によく考えられたセリフだと思う。

 バカにしていなければ、他の趣味をなくした代償にせよそれはそれとして楽しめばよろしい。それをあえて、パズドラしかやれる趣味のない自分を落ちぶれたものと吐露するのは、随分と高慢ちきな話だと思う。趣味に対して意識の高い人たちは往々にして、現実でもこういう物言いをしがちだ。どの趣味が高尚でどの趣味が俗悪でなどと云々することはしない。しかし、自分の趣味が高尚であるという価値観は一体何に保証されているのかについては、今一度省みられてもよいだろう。

今宵はこれぎり

 今日は恩師の退職記念パーティに出席してきたので書くことがない。この満足感は言語化することができないし、パーティで知り得た内幕の話をうっかり書くとプライバシーだの守秘義務だのに抵触しかねない。シラフなら別に心配することはないのだが、久しぶりにお酒を飲んだのであまり自分の正気を信用することができないのだ。

病気三昧

 先週末に熱を出して丸々一週間を棒に振った。ありがたいことに今うわさの新型コロナ変異株の類ではなかったが、体力が落ち込んでいるのが実感される。

 扁桃炎と結膜炎を同時に起こしたので、飲み薬で抗生物質、目薬でも抗生物質という抗生物質漬けの生活を送っている。昔、あまり抗生物質を使いすぎるといつか抗生物質が効かない耐性菌だらけになって大変なことになると聞いたことがあるが、あの話はどうなったのだろうか。本当なのかは知らない。

 医療逼迫が叫ばれているので、病院にはなるべく行きたくなかった。しかしこういう場合は行かないわけにもいかない。近頃はとにかく疲れやすく、重たいものを持つのにも一苦労する。健康の維持は難しいが、やれるだけのことはやりたいものだと思う。